野田ちほのOfficial Web Magazine

Vol.1 かけがえのない“おばあちゃん”のピアノ

 

おばあちゃんのピアノが私のところにやってきたのは、27年前。

私のおばあちゃんはピアノの先生だ。

おばあちゃんや両親の影響もあって 私は幼少期からピアノを習っていた。

 

わが家の代々のピアノは、すべておばあちゃんから譲り受けたもの。

なかでも上品で艶のあるクラシックなブラウンのピアノを美しくてカッコいいなと

私は憧れていた。

 

「私が弾けなくなったら、いつかあなたにあげるわ」と、

おばあちゃんは言ってくれていた。

おばあちゃんが大切にしていたピアノだから 特別なピアノのように幼心ながら

感じていたのかもしれない。

 

アップライトのなかでも一番大型で音の奥行きが深く、ピアノの調律師は

「このピアノはもう作られておらず、大切に使ってくださいね」と褒められるほどだった。

当時は、ただカッコいいと思っていたピアノの素晴らしさは、後から後からと

心のなかに入り込んでいった。

 

4歳のとき、おばあちゃんから習いはじめたピアノ。

おばあちゃんはいつも美味しい お菓子を持って1時間半ほどかけてレッスンに

来てくれていた。幼かった私は ピアノよりも持ってきてくれるお菓子が

ただ嬉しくて、ピアノを弾いていた。

 

学校2年生のとき、父の転勤で私たちは東京に引っ越して、ピアノは東京の先生に

習うことになった。親の都合でやらされていたピアノのレッスンだったが

中学生のころからショパン、ベートーベン、ドビュッシーといった美しい楽曲を

だんだんと弾けるようになり、ピアノの楽しさが芽生えていった。

ピアノの発表会になるとおばあちゃんは、はるばる関西から東京に必ずきてくれて ピアノと

私の成長をいつも喜んでくれていた。

 

就職を機にやめていたピアノだが、会社を退職して米国公認会計士の勉強をしていたころ

ふと思いたってピアノの先生に連絡をしてみた。年賀状のやり取りだけになっていた

先生に、なぜだか久しぶりに会いたくなったのだった。

 

先生の自宅に伺い、懐かしいできごとや 社会人になってからのことを話すなかで、

「勉強のリフレッシュになるから、 またピアノをやったら?」と。

先生の言葉に後押しされて、ピアノを再開したのが28歳のときだった。

私が弾くピアノの横で先生がハーモニーを口ずさんだり、演奏をリードしてくれたり。

私の演奏がまるで魔法がかかったように優雅に聞こえてくるのだから不思議だ。

 

Vol.2に続く >>

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